There is no standing still in my life.

こんにちは。HIROです。



普段から通っているヘアーサロンが新宿御苑前にあるのですが、
先日髪を切る前に少し時間があったので
紅葉の色合いを楽しみに少しの時間だけ新宿御苑を楽しんできました。
写真にあるように紅葉がきれいで楽しめましたよ。
みなさまもいかがでしょうか?



新宿御苑を歩いていて、ふと考えたのですが、
いつも自分が節目になるときは新宿があったなと。


ちょうど年齢的にも50歳をすぎてたことや
コロナ禍で旅行に行くということもないので、
いつも思い出の地となる「新宿」について、
緩く回想をしてみました。



今日は自分と新宿について
こだわってみたいと思います。


新宿の大部分。新宿御苑

毒猿 新装版: 新宿鮫2 (光文社文庫)


先程の写真にある新宿御苑ですが、
実は環境省が管轄する公園なんです。



御苑という名が冠されるだけあり、
その起源は皇室の御料地として開設され、
戦後は国民の公園となって
一般に利用が解放されるようになりました。



最近では「デング熱」をもった蚊が園内にいたことや、
「桜を見る会」でも名前が出てきたりしていましたので、
名前だけでも聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?



私は大沢在昌氏の新宿鮫がとても好きでしたが、
その第二巻「毒猿」の舞台が、まさに新宿御苑でした。


今でも新宿御苑の中にある池を見ると、
池の中から潜水服を着た殺し屋「毒猿」が出て来て
脳天かかと落としをされるのではないかと不必要に恐れたりしています(笑)



そして新海誠監督の映画「言の葉の庭」で靴職人を目指す主人公と
年上の女性がいつも出会う東屋がある場所も新宿御苑です。

『言の葉の庭』 新海誠


東屋の近くに缶ビールを持った女性がいないかと
キョロキョロしたりしましたが、
この時勢なので誰もいませんでした。
(そりゃそうでしょ)



新海監督の作品には新宿の街が多く出てきますが、
最近ではアニメの登場シーンをめぐる「聖地巡礼」として
新宿御苑に詣でて映像と場所を見比べて
楽しんでいる若者も見受けられるようになりました。



かくいう私は学生時代に新宿に遊びに行っていたり、
社会人としてのスタートがここだったこともあるので、
何かというと新宿に行ってしまう習性があります。


帰巣本能という感じでしょうかね(笑)






学生時代に魅せられた新宿の街はモノクロームだった。

中学生の頃から新宿に行っていた私は
渋谷系でも原宿系でもなく間違いなく新宿系でした。


なんというのしょうか。
新宿ってアンダーグラウンドの人が多くて。
そんな新宿の人たちに憧れもあったのかなぁ。



小学校の高学年で聞いた戸川純さんのゲルニカとかは衝撃でしたね。
その頃YMOも好きでしたが坂本龍一さんは新宿高校出身だったと思います。


ちなみにYMOの中でも好きな曲は「SOLID STATE SURVIVOR」に入っている
「CASTALIA」(キャスタリア)だったので、かなり重苦しい少年でした(笑)


どちらも私を可愛がってくれていた
親戚のお兄さんとお姉さんの影響で聞くようになったので、
小学生の時から周りと話の合わないことが良くありましたよ(笑)



中学、高校生の時に洋服を買いに行くのも新宿だったし
西新宿の新宿レコード、キニー、UK EDISONというレコード屋でした。
フェルナンデスのエレキギターも新宿の楽器屋で買ったなぁ。



この辺のレコード屋さんはパンク、ハードコア、ヘビーメタルなどの
ブートレグ(海賊版テープやレコード、時には映像)を売っていたり、
今でいうインディーズのテープなどを豊富に扱っていたため
足繁く通った覚えがあります。


モヒカンパンクと一緒に大音響の店内でレコードを普通に選ぶわけですけど、
同年代の子は新星堂とかに行ってアイドルのレコードを選ぶんですよね。



私は中学の時にはIRON MAIDEN やOzzy Osbourneとかが好きだったので、
今考えると相当イカれた中学生だったと思います(笑)



また、西新宿といえば小滝橋通りに有名なライブハウス
「新宿LOFT」というところがありました。
一度入ったら出られない系のぎゅうぎゅう詰めのスタンディングライブをやる
ライブハウスの走りだったんじゃないかと思いますが、
ここのライブは半端なく刺激的でした。



当時はアナーキー、筋肉少女帯、ブルーハーツとかが出演していました。



特に覚えているのは44マグナムというバンドで、
彼らは当時珍しかった長髪・金髪で・・・
まさに関西から殴り込みに来たという感じで半端ではない気合いでしたね。



新宿LOFTはインディーズがプロになる登竜門的な場所だったこともあり、
ハードロック界では今や大御所の伊藤政則さんなどは何度も見かけましたし、
アーティスト達のここ一番というときの並外れた「気合い」を幾度も目の当たりにしました。




当時はこの類のジャンルはステイタスが確立していなかったこともあり、
バンドとオーディエンスに市民権は当然ながらなくて(笑)



来ているオーディエンスも喧嘩上等の目が据わっている危ない人ばかりだったので、
ライブハウスを楽しむというか、この緊張状態も楽しむ?
という感じだったことを覚えています。



私はANTHEMという日本のパワーメタルバンドが好きだったので、
何度もLOFTに行って散々ヘッドバンキングをしていましたね。



今ではちょっと考えられないかもしれませんが(笑)


格好悪く生きることが許される街。それが新宿。

今思えば高校生の時の自分は自分自身の灰色の鬱屈した気持ちを
モノクロームの新宿という街にぶつけていたんじゃないかと思います。



私は学校以外にフラストレーションをぶつける場所があって
良かったのかも知れません。



先日のブログで書いた森山大道氏は出身地こそ違えど
新宿でストリートスナップを撮りまくっていた人でした。



とにかくその時の新宿には独特のグルーブがあって
集う人たちの熱量やあからさまな野心が半端ではなかったです。

森山大道氏のことを書いたブログです。こちらも合わせてご覧くださいね。
周りに合わせず人を巻き込んでゆくブレない生き方を学びたい方へ



渋谷と違って最先端の格好良い人はいないし、
かといって青山みたいにお金持ちもいないし、
銀座のようなジェントルさは微塵もない。



でも新宿にはなんとか這いあがろうとする人たちの
有象無象の欲求が溢れ出ていた感じがしますね。


業と欲が折り重なるこの街の人間臭さが
今でも自分を根底からを支えてくれている気がします。


格好良い悪いとかを考えずに突っ走ることが
実は一番格好良いということを
新宿という街の人たちが教えてくれました。


そうそう、44マグナムの
「NO STANDING STILL」の歌詞にもありました。


DREAMER DREAMER
ためらうな
追いかけろ まっすぐ

道をふさがれ
遮られても
光が見えるまで

立ち止まるな
急いでくぐり抜け

そう 地の果てへ
辿り着くまでさ




私はおっさんど真ん中ですが、
新宿系を名乗る限りは、
まだまだ格好悪く生きたいし、



格好悪さが格好良くなるまで
立ち止まることは出来なさそうです。


There is no standing still in my life.







コーチングについて話を聞いてみたい、
相談をしてみたいと思った方は、お気軽にお問い合わせください。

お問い合わせはこちらから

There is no standing still in my life.” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す