共感と同情の違いがわかりますか?

こんにちは、HIROです。


今日は世間では4連休の最終日でした。
私は用があって都心に出かけましたが、
連休とは思えないほど街は空いていました。



このコロナ禍がなかったとしたら
今週から東京オリンピックが始まっていました。



東京で世界のアスリート達の活躍を
目の前で応援していたかと思うと、
その活躍の場が延期になったことは、
とても残念に思います。



また、オリンピックに人生をかけてきた
アスリートの皆さんの気持ちを思うと
なんともいえない気持ちになってしまいます。



例えば、
あなたの友人が東京オリンピックに
出場を予定していたアスリートだったら
皆さんはどのように接しますか?




どう接しよう。
何を伝えたら良いのだろう・・・



とっさのことだと、
そう考えてしまいますよね。



とはいえ、
私たちを取り巻く生活の中でも、
大なり小なり同じ様な状況が
起きているかもしれません。



お客さんが来なくなった飲食店の方や、
環境業に従事している方など、
このコロナ禍で大変な思いをしている方が
身の回りには沢山いらっしゃいます。



今日は困難に差し掛かっている人が自分の前にいた時に、
「共感と同情」という2つの側面から見た接し方について
緩くこだわってみることにしますね。




なぜか自分の話で終わってしまう人は共感力が低い

中学校に通う息子の学校では
コロナ禍でオンライン授業に切り替えて
授業ができなかった分の時間を取り返すために、
夏休みを短縮することになりました。



比較的部活動が盛んな学校なのですが、
文武両道ということを掲げていることもあり
テストである一定の点数が取れない人は
大会に出場できないという決まりが急にできました。




それを期に部活の親御さんが
連絡を取り合うラインの中で
こんなことがありました。




Aさん:うちの子は成績が基準より低いから大会に出られないって先生に言われたらしいの。

Bさん:うちの子も言われたみたい。だから頑張りなって言ったところだったんですよ。



ここまではよくある話ですが、ここでCさんが登場しました。



Cさん:うちの子は言われていないみたいなんだけど。先生忘れているのかしら?


Cさん :(間をおいて再びLINEで)子供に確認したけどやっぱり言われていないみたい。


DFGHさん: ・・・(無反応)




このCさんのコメントに、
皆さんの心は何かザワついた感じになりませんか?




たぶんですよ、たぶん。


これはCさんが、ご自身のお子さんの成績を、
暗に「良い成績だ」と自慢をしたいだけの
無意味なマウントになってしまっていることが
心がざわつく原因になっているのです。




なので、敏感な方は
それ以降何も返信をしなかったわけです。



この場合でいえば、
Aさんに共感したBさんは、
同じ様な立ち位置で物事を話あっていました。



Cさんは、自分自身の言いたいことを言い放って、
共感も同情もなくマウントして終わったことに
私は気づかされました。



以降、この出来事はCさんにとって
結構痛い話になってしまいました。





アドバイスと思っていたら逆に落ち込んでしまう場合もある

アドバイスをもらえるということは本当に有難いことです。


私は結構人からアドバイスをいただくことが好きです。
なぜならば、自分と違う視点をもった方の意見は参考になるし、
自分よりも経験や知見が多い方のアドバイスは
自分の甘さや視野の狭さに気づかされることが多いからです。



でも、実は私にはアドバイスをもらって
落ち込んでしまった経験があります。



私が病気で入院をしていたときに
私を励ましてくれた人の話です。



励ましてくださった人の話を
悪くいうのも憚られますが、
自分自身の中でこの経験は
残念にも心に残っていたので、
あえてこの場で書きたくなりました。

私の人生を変えた持病について書いた記事です。
こちらもあわせてご覧ください。
微小変化型ネフローゼ症候群


以前にブログでもある様に、
私はきっかけがわからず、
突然完治しない病気になってしまいました。



結構仕事もプライベートも
思いっきりやることが好きだったので、
身体には負荷がかかっていたのかもしれません。



その時の主治医からは
「何が病気になるきっかけかがわからず、
また、今の医療では完治しない病気なので、
難病に指定されているんですよ」
と言わたことを記憶しています。




そんな中、
思いの外多くの人から
励ましのお言葉をいただきました。




今思い出しても
本当にありがたかったです。



でも辛かった一言もありました。



「大丈夫だよ。また元気になるからさ。」



これだけは結構キツかった。


励ましは本当に有難いんですよ。



でも私の病気を知らずに、
完治しない病気だということも知らずに
同情の言葉をいただいても、
私の病気は治らないんです。



逆に、元気になることと
治らないことのギャップが
入院中の私を困惑させました。



このときに私は
身を持って理解したのです。



同情というのは
あくまでも言葉を発する人の価値観や視点で
成り立っているものなのだと。




そして時として
同情は人の心を深く傷つけるものなのだと。





共感にテクニックは必要ありません

私の入院生活も長くなり、
同じ病室で糖尿病になってしまった80代の老人と
ポツポツと話をするようになりました。



というか、今思い起こすと
この御老人は私と話をしていたのではなく、


いつも私の話を
ゆっくりと聴いていただいていただけなのです。



ほぼ、ただそれだけでした。



アドバイスとかをいただいたことは
殆どなかったと記憶しています。



でも、いろいろな方からいただいた
アドバイスのほとんどは忘れてしまいましたが
(すいません!!)



この御老人に、
ただただゆっくりと聴いていただいたシーンは
今でも鮮明に覚えています。



そして、その出来事が後に自分自身が
コーチングをやることにつながる
礎になっていたことに最近気がつきました。



アドバイスは人に影響を与える上で、とてもパワフルです。



でも、育ってきた環境や価値観が違う方から頂く千のアドバイスよりも、
私はこの御老人に「ゆっくりと聴いて頂いたこと」で人生が変わりました。




誰かが困っていたり、
悩んでいるときは、
同情よりも、まずは話をゆっくり聴いてください。




アドバイスできないし・・・
という方は、ちょうど良いです(笑)



アドバイスはむしろ要らないです。



今悩みの渦中にいる人は
あなたにゆっくりと話を聴いてもらうだけで
自分で立ち直るチャンスを見つけることもあると思います。



私はこの自分自身の実体験を基に、
私が提供しているパーソナルコーチングプログラムでは、
ゆっくりと話を聴く時間をつくることにしました。




心の歩調に合わせて、あなたの価値観に沿った
コーチングをやることにしています。



アドバイスは
求められない限りすることはありません。



このブログを読んでくださっている方の中でも
私と同じような経験をしている方は
少なからずともいらしゃると思います。



そのご経験を糧として
新しい人生を歩みたいと思っている方や、
是非、話をゆっくりと聴かせてください。




ところで、ここまで読んでいただいた方に
私から一言だけ付け加えさせてください。




話を聴くだけにお金を払う」なんて、
もったいなくて出来ないと思っていませんか?




私の職業はプロコーチです。



私はプロとしてあなたに全神経を傾けて
ゆっくりと話を伺います。



そして、その聴いたことを

あなたに「問い」とあわせて反映させることで、
ご自身の言葉と考えの整理のお手伝いをいたします。



プロコーチと聞くだけの人や
アドバイスだけをする人の違いはここなんです。



プロはあなたご自身と可能性を信じています。



クライアント様一人一人違う心の中から湧き出す感情や
価値観を感じ取り表出化することで、
「あなたが自分自身を客観的に見える化」するお手伝いをします。



あわせて2年間のトレーニングと
8年間のクライアント様とのコーチングを基にしたアドバイスも
クライアント様のご要望があればさせていただきます。



もしも今、あなたが新たな一歩を踏み出すことを考えていたり、
前を向いて新たに歩くチャレンジをしたいと思っていたら、
まずは、私に「お問い合わせ」からご連絡をください。



私はあなたに常に寄り添って、
結果を出すことにコミットします。










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