あなたはいつも自分に正直な選択が出来ていますか?

こんにちは。HIROです。


朝晩は少しずつ涼しさも感じられる今日この頃ですが
皆様はいかがお過ごしでしょうか?



冒頭で早速で恐縮ですが、
私は積極的に外出をすることが好きで、
一日中家にいることができない
落ち着かないタイプの人間です。



いきなり意味不明の自己開示ですいません(笑)



それが、このコロナ禍で
仕事がリモートワーク主体になり
家から外出することが制限されるようになったこともあり
外出をせずに家で過ごすことが増えてきました。




このような状況設定をずっと続けていると、
案外と自分だけのわがままがきく世界なので、
それはそれで楽しいのですが、


どうしても外界の直接的な刺激や
予想外の出来事に遭遇することが減ってしまうので、
つまらなさも感じています。



私は病気で入院していた期間が長くありました。


その病気は免疫力を薬で落として治療をするため、
外界と接することを断たなければなりませんでした。



これはとてもつもなく退屈な生活の連続でした。



そのため、退院して自宅療養を経て
久々に満員電車に乗った時の感動。



これこれ!


ギュウギュウに鮨詰めになって
みんなが嫌な顔をして黙っていて
電車に乗っているこの異様な空間。



それが当たり前のようになっている滑稽な日常の景色。


この感じだよ。


「生きてるじゃん!」


と思いましたよ(笑)



これを読んでいる皆さんからすると
「オッサン、アホちゃうか?」
と思われるかもしれませんね。



でも、あの3蜜どころではない、
あのとてつもなく嫌な空間が、
外出が出来ない入院生活と比較した時に
生きている感満載の感動すら覚える
ジーンとする世界になってしまったのです。



今では、
ほとんど普通に生活が出来るようになり、
そんな自己満足の感動話はすっかり忘れてしまったので
満員電車は遊園地のアトラクションのような楽しい空間から
日常の蜜で苦しい空間に再び戻ってしまいました。



戻らなければ、日常の
数時間が楽しいままだったのに!



なんで、戻ってしまったんだぁぁぁ。



と言っても



体調も含めて普通の世界に ほぼ戻ったので
それはそれでしょうがないですね。



さて、
これは物事を見ている立場や角度が異なると
見える世界が全く異なってしまうことを
自分自身が体験した一つの例でした。



流石にこのような感覚になった方は
まずいないとは思いますが(笑)



皆様の中にも
自分が物事を見る角度を少し変えることによって
世界が開けた!と思ったことがある方も
少なからずいるのではないかと思います。



今日は、自分がいる世界や立場によって
見える世界が変わるという話から
自分に正直な選択とは何かについて、
実体験を基にして緩くこだわって
書いてみたいと思います。






過去の成功体験で世界が変わったこと

私は「何か今までの人生で成功体験はありますか?」
と人に聞かれた時、必ず思い出す体験があります。


それは小学校6年生の修学旅行の時に
登山をした体験の思い出です。



今ではどこの山に登ったのかすら思い出せませんが、
6年生にしては結構ハードな登山をしたような気もしています。



当初から登山には2つの選択肢がありました。



それは山頂までキツイ山道を登山するか。
それとも中腹の湖で休憩をして帰るかの2つでした。



私は当初、中腹で休んで帰るグループに入ることを考えていました。
なぜならそのグループにいるメンバーの間では、
サッカーをやろうとか、昼寝の時間にするとか、
いろいろなセカンドプランが練られていたこともあり
それはそれで、楽しそうに感じたからです。



もうひとつのグループは
頂上まで登山をするグループです。



このグループは目的がはっきりしていることもあり、
特に楽しい話もなく淡々としていました。



そして、そこにいる友達には
普段仲良しにしている面々は
一人もいなかったのです。



私は仲が良かった友人達が
中腹組を選択していたので、
山頂と中腹を決めて提出する書類には
当然のように「中腹」にマルをして
先生に提出をしていました。



まぁ、その時の自分には、
その選択自体が大したことに
感じられなかったのです。



修学旅行に出発する少し前に・・・


夕飯時だったかなぁ、ちょっと思い出せないのですが、
自分の親父にその話をふとした拍子にしたんです。



そうすると、親父は私に一言。

「なぜ山の頂上まで登らないんだ?」



これに当時の私はまともに答えられませんでした。



「友達がみんな中腹で遊ぼうと言ったから」とか、
「頂上まで行くと疲れるから」とか、
そんな言葉しか思いつかなかったのです。



そうこうして、
しどろもどろのうちに親父がまた一言。



「目の前に選択肢が出てきたときには、あえて高い方の山に登ってみろ」



その時の私には、
これは反強制的なプレッシャーでしたが(笑)


山が好きだった親父の一言を
断る理由も見つからなかったこともあり、
翌日先生にプランの変更を申し出ました。



修学旅行の登山当日は晴天で、
初夏の日差しも強い日だったことは覚えています。



そんなこんなで山の中腹まで登山をして来て、
仲の良い友達がサッカーボールを取り出して遊び始めたのを見た時に、
自分も中腹組にすれば良かったと後悔をしました。



上を見上げると遥か彼方に山頂が見えるのです。
快晴なので、はっきりと見えるそこは、
当時の私には絶望的な遠さにも感じられたものでした。



山頂組は、ほぼ休まずに、
そのまま山頂に向けて歩き出し、
無言で厳しい道を登り始めました。



今の靴と違い
当時の靴では足の指のマメは出来るし、
日差しは強いしで大変でしたが、
2時間後にはなんとか山頂に到着しました。



そこまで後悔という重い荷物を背負いながら
無言で山道を歩いてきた私ですが、



見渡す限り雲のない景色と
自分が立っている山よりも高い山が全く見えない景色を見て
思わず「やったぞ!」と叫んでしいました。



無人島で魚を初めて獲った芸能人も
「やったどー!」と叫んでましたので、
この時の私と同じハイな気分だったかもしれませんね(笑)



歩き続けて疲れて暑かったはずの自分を
白やブルーのレースのリボンを吹き流したような
風が吹き抜ける何とも言えない心地よい雰囲気。



視界を遮るものが何もない世界。



今までに体験したことがない最高の瞬間でした。



眼下の湖は思いの外大きく、
その端のスペースで友人達が
サッカーをしている姿も小さく見えました。



休憩をしてしばらくしてから
私たちは中腹まで下山をしました。



往復で3時間くらいだったでしょうか。
中腹で待っていた友達が
「山頂はどうだった?」と口々に
聞いてくるのです。



私だけではなく、山頂に登った友達は、
口々に自分の中での至高の体験を興奮して話していました。



その聞いてきた友達の一人が・・・


「結局サッカーはどこでも出来るのに
なんで俺は山頂まで登らなかったんだろう」
とポツリと言いました。



今でもその光景は鮮明に覚えています。


この時、私は親父の問いを思い出したのです。



「なぜ山の頂上まで登らないんだ?」




登る登らない、どちらが良いかは選択する人次第です。
でも私はこの名も無き山に登った小学校の時の至高の体験と達成感が
今でも自分が選択をする状況に迫られた時の判断基準のひとつになっています。



「目の前に選択肢が出てきたときには、あえて高い方の山に登ってみろ」


これは私の小さな成功体験の話です。



でも私にとっては今の今まで
自分を支える得難い成功体験でもありました。




その後に、
もっと大きな成功体験もあった気がします。
でも私の人生の指針になっているのは、
山頂で風を感じたあの至高の体験なのです。



失敗体験でも世界は変わること

先ほどの話は成功体験でしたが
失敗体験からも世界観が変わることもありますよね。



これはあまり体験はしたくはないですが(笑)
私は成功と同じくらい、もしくは人生を左右する
失敗経験を多く経験しています。



その中で私の人生の転機になった
選りすぐりの失敗体験(笑)を
3つあげるとすれば・・・



①高校受験で失敗をして志望校に行けなかったこと。
 →後々の人生でも尾をひく手痛い失敗体験。


②40歳の時に病気になって社会の枠組みからこぼれ落ちたこと。
 →人生を根本から考え直さざるを得なくなった失敗体験。 



③チャレンジした結果失敗に終わった会社の部署異動。
 →自分の心からの声を無視して選択した失敗体験。



①は別の機会に、②はこちらのブログで(笑)

微小変化型ネフローゼ症候群
ネフローゼ患者から看護師さんへのメッセージ

今日は③の部署移動の大失敗のついて書いてみます。

これは結構最近の話なのですが、
会社で大きな組織変更を伴う部署異動がありました。


その時に、今までにやったことがないけれども、
チャレンジのしがいがあり興味深い部署への異動を
上司からオファーされました。



その時の自分は自分が所属する部署でもっと専門性を深めるか
それとも新たな部署でチャレンジをするかの選択を迫られたわけです。



ちょっと無謀かなぁと思いつつ
いつもの通り頭の中には
この言葉が浮かびました。



「目の前に選択肢が出てきたときには、あえて高い方の山に登ってみろ」



今までの転職も、この言葉と自分を信じて
成功体験を積み重ねてきたと自負していたので、
今回もこの言葉を信じてチャレンジをしたのですが、
これが無念の大失敗につながりました。



部署は9ヶ月ほどで大きな組織変更に巻き込まれて解体してしまい、
自分も足跡の一つも残せず部署を異動することになりました。



この時の手痛い失敗は、
大きな組織変革の渦中に入った時期と重なってしまったこともあり、
自分だけの責任ではない部分も多分に含まれていましたが、



自分にとってはこの選択をしたこと自体が
自分の人生にとって大きな失敗だったのです。



あえて高い山に登りチャレンジをすること。
それよりも大切なこと。
それは自分がやりたかったことかどうかということ。




この内なる心の響きを無視したことが
私にとっては痛恨の大失敗だっのです。



チャレンジを任されたことは嬉しいですし、
自分でも興味のある分野での仕事でした。



でも、本当にやりたかったかというと、
そうではないということを
今でははっきりと言えます。



もちろん仕事は懸命にやりました。
でも自分自身に迷いがあったにも関わらず
引き受けたということに後悔をしているのです。



孔子の教えで言えば、「五十にして天命を知る」年齢にですよ。
「四十にして惑わず」の境地にも程遠いじゃないですか(笑)



登山の準備もロクにせず、
高い山を選択していきなり登り始め、
そして遭難をするという、
残念な冒険家のような感じになってしまったのです。



本当に情けなく無念な体験です。



自分のささやかな成功体験にしがみつかず、
ありたい自分の人生を考えて
選択をすれば良かったと今は考えています。




自分に正直な選択を擬似的体験することで違う世界が見えてくること

解散した部署に異動を勧めてくれた上司は
部署がなくなる際に
現在の部署に異動する推薦をしてくれていました。



そのおかげもあり、
今は新しい部署に異動して、
自分が本当にやりたかった
能力開発の仕事が出来ています。



有り難い手助けをいただけたことを感謝していますし、
自分自身も異動が出来て良かったと思います。



自分がやっているコーチングとのシナジーもありますしね。




でも面白いこともありました。
コロナ禍という今までにない状況のために、
リモートで出来る研修を作らなければならず、
デジタルプラットフォームを新たに作らねばという話になった時、
異動で大失敗をした部署で覚えたDXの知識と経験が役にたってしまったのです。



これは本当に瓢箪から駒という感じですが(笑)
短期間かつ大失敗の経験でも、
一生懸命やっていた経験が生きて良かったと思う出来事でした。





今回の失敗経験は
コーチである私自分としては
プラスに働いたこともあります。




それは、
自分自身の体験を基にした
今までよりも意味深い「問い」を

発することが出来るようになったからです。



今の私なら自信を持って
3つの「問い」を

あなたに投げることが出来ます。



「これから始まる経験は、あなたが自分らしく生きるために必要な経験ですか?」


「あなたがこれから始めることは心からやりたいことですか?」



「家族が将来、意義深い人生れるようにするために、今、あなたは何ができますか?」




これらは自分の成功と失敗体験から生まれてきた
「生きた問い」をベースにしています。




私のように失敗体験を積み重ねることは
経験としては必要なことなのかもしれません。



でも誰だって出来る限だけ
大失敗はしたくないないものです。



私がコーチとしてあなたに投げる「問い」からは、
今まであなたが経験をしたことがない事柄についてでも
擬似的な成功と失敗経験を感じることが出来ると考えています。



それらの「問い」からは、
あなたにとって想像もしない
新しい擬似体験と解決策につながることもあります。



そのことによって、
思いがけないチャンスが見えてくることもあるでしょうし、
自分の本心に背いたことによって起きる
失敗行動を防ぐことが出来るかもしれません。




今、何か新たな選択をしようと思っている方や、
転機になりそうなことで決断を迷っている方は、
是非、「お問い合わせ」からご連絡ください。




私とのコーチングで
新しい選択肢が見えてくることをお約束します!

コーチングについて話を聞いてみたい、
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